バス停が無かった話

石応に纏わる遠い昔の思い出です。高1の夏休み。石応の堂崎へ泳ぎに行った際のことです。8歳下の妹を連れて宇和島自動車のバスに乗りました。当時のバスは車掌さんがいて切符を切ってくれました。「石応まで」と言うとまだ若い車掌さんがそんな停留所はないと言うのです。彼女は書物を調べていましたが、やっぱり無いと言う。後に分かったことですが、彼女は新人だったのでしょう「こくぼ」が読めなかったのです。仕方なく手前の白浜で下車して歩きました。妹は家を出る時からもう水着を着て浮き輪もつけていました。炎天下を歩くうち妹が泣き出してほとほと困り果てた頃、終点から引き返してきた件のバスとすれ違いました。申し訳なさそうな顔の車掌さんに渾身のアッカンベーをお見舞いしてやりました。石応のバス停では心配した友人が待ち構えており、事情を話すと激しく憤慨したことを覚えています。今となっては懐かしい50年も昔の話です。