赤松遊園地の思い出

赤松へ向かう途中、大浦の波止に釣り人の姿はなく、民家の前でタコ釣りをしている人がいただけ。今年のタコは春先にいい型のものが獲れて以降、パタリと釣れなくなったらしい。アジも不漁。海がなにかおかしい。

小さな神社の奥に覗き岩が見える。ここに沈む夕日の美しいこと。かつては賑わいを見せた遊園地だが、人影もなく寂れ果てた姿はやはり寂しい。

89歳になる義母は宇和島市立住吉小学校の卒業生である。もちろん学校にプールなど無い時代のこと、水泳の授業は専ら赤松で行われていたという。遠泳大会で大活躍したというのが義母の自慢である。

昭和30年代、宇和島の海水浴場と言えば赤松遊園地だった。夏になると文字通り芋の子を洗うような混雑ぶりであったが、こうして写真で確認するとこんなにも小さく狭隘な海岸であったのかと驚く。海の家でもあったのだろうか、朽ちて今にも倒壊しそうな建物。

宇和島東高校では毎年ここでボートレース大会が開かれた。東校卒業生にとっては思い出深い場所であろう。海に突き出た飛び込み板だったか、ブランコだったか、今はもう無くなっていた。海すずめのロケに使われた建物も無い。

二階建ての宴会場もあったと記憶している。小学生の頃のはなし。宴もたけなわ、酔った祖父が「舞いを舞え」と無茶を言い出し半ベソで踊ったことがある。

竜宮城から九島大橋を臨む。九島に橋が架かるなんて夢のまた夢だった。亡くなった祖父が聞いたらどんなにか驚いたことだろう。